kin kyo-
きゃはきゃは
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ダンミルマンの魂の目的の中に出てくる直感のエキサザイズ 左から 自分の意見の神、人の意見の神、比較の神、お金の神、権威の神 人はこれらを真実であるかのように信仰してしまう傾向がある。 私もかなりその一人 そしてこれは直感を曇らせる要因となる ということで、神様作って毎日拝むと日々の中からどれがこれらの神に該当するかというのが分かってきて、直感と偽りの神との区別がつくというしくみ この本買ってからかなり時間経ってからの実践だけど かなりいいかも #
by Psychedelphia
| 2007-04-17 01:53
| Life
住まないと味わえない感覚ってどこの国にも存在している
最近 日本のそれが恋しい 日本と言っても東京なんだけど こっちに着たばかりの頃と同じぐらい この先いつか日本にもう一度住むことってあるのだろうか なんて暇つぶしに考えてみたりもする 外から見る日本はとても平和で ぼわぁんとしてる ぼわぁんとした中で生活してた自分が懐かしい あぁ ぼわぁんに囲まれたい #
by Psychedelphia
| 2007-02-24 21:27
| Life
いつからだろうね
クリエイティブな事したいって思ったのは 大学のころには確実に芽生えていた あの頃なんて何を表現したいなんて理屈ぬきで ばかみたいに 目に浮かんだもの全部作ってみたいなんて思っていた そういう単純さが今はない これが年をとったという事なのか、柔軟性にかけているということなのか とにかく、今はない 今は、自分の見ている世界を表現したいって・・・ 自分の見ている世界って一体なんだろうって ある意味原点ジャンそれ こけっ って感じのところでつまずいてる 笑 自分の表現したかった世界って一体なんだったんだっけ でもまた扉は見えてる気はする そして今回きちんと見極めたら、また何かが少しずつ変わる気がする 何度も通ってきた同じ違う道だけに 別に落ち込んでいるわけじゃないところがまた不思議 今回の同じ違う道 同じ違う道ってわかるかなぁ 絵は同じなんだよね でも何かが違うんだよね 深みみたいなもんなんだけどってまた理屈っぽいよ BachflowerでWildoatをとってみたけど、これといって変わらなかった 自分が何をしたいのかとかそういう人生の目的意識みたいなものが見えない人のためらしいんだけど、当たり前だけど、そんな突然 ぱっと あーーこれだ見たいな物は見えなかった けど、これでもかって長い間飲んでおいたからか、気分的にはそれほど自分を失ってしまった感みたいなものは無かった 多分自分の道を歩んでいるんだとおもう これでも って思えるところが実はWildOatが効いているところなような気もする こんな暗い道だけど、これが自分の道だと思えることが嬉しいかったりする けど、 けど いい加減思い出したい今日この頃 私の伝えたい物って何だっけ 過去のファイルを整理しながらまた心に火を灯して、その火が炎のように強く力強く燃え上がるのを今度こそ止めることはもうしない 今度こそ 今私のたどっている道というのは、今まで本能的に向かっていた道を、ある意味理屈っぽく自分なりに考えて 自分自身で納得したいっていう思いからなってるんだと思う。 本能的に体を動かして、製作している中、数々の疑問が私の心に矢を放ってくる こんなことして何になるの こんな時間かけて、作れなかったらどうするの 疲れるよこの作業 まーいつものことだけど、数々のいたずらな小人が私の胸に疑問の矢を投げてくる はじめは知らない振りするのだけど、徐々に徐々に徐々に私の心から血が垂れ落ちる そしていつもハマル罠は そうだ お金稼がなきゃ そう そしていつも お金の心配を始める そして、作業をひとまず横に置く そしてそれまでやっていた作業を忘れ、作業だけでなく、創作という行為そのものすら自分の体から抹消してしまう 今いたっている状態のように ただ、今回今までたどり着かなかった結論にたどり着いた 創作活動をしている時の自分って ある意味取り付かれてる状態っていうのか トランスしている感覚で 表現できないような気持ちよさがそこにはある 私はいつもその感覚を味わうたびに興奮すると同時に、罪悪感にとらわれる こんなに楽しいことをしていて本当にいいのだろうかっと 人はきっと、楽しいんだからいいんじゃないのぉっと思うと思う でも、この楽しい行為を続けられないほどの後ろめたさを本気で感じてしまう自分がいるのは事実なのだ 最近 かなり体調が悪くて、コンピューターなんかに向かっていられないほどだった ほとんど毎日ベットの中 集中力も無く 芸大の通信教育で渡された貴重な本らを見つめ 題材で読む本を選んだ 失われた体を求めて という題材の本を手にしメッセージを発見した そこには芸術家が作品を作っている時には、自分ではなくて何者かに憑依されているのである。このことを映像イメージで示しているのがコクトーの映画「オルフェ」における詩作の様子である。 オルフェは、死の女王の残していったロールスロイスからだけ聞こえてくるラジオの声に耳を傾け、それを筆記するのである。 モダンなイメージになっているけれども、ラジオから聞こえてくる声は、人間主体を超えた存在からのインスピレーションに他ならず、それに耳を傾けることが芸術家のあり方なのである。 その意味で芸術作品の主体を作者に限ることには、人間主体の傲慢さや、自分を過大評価した思い上がりが見られるかもしれないのである。 芸術作品とは常に作者の主体以外の、それ以上のものが作っているとみなしたほうが妥当であろう。 だから逆説的なことに芸術を生み出すためには、自分だけの力に頼ろうとするのではなくて、いかにして自分を超えた力を動員するように努力するかが課題になるともいえるのである。 これまで、自分の世界観を表現したいなんて小生意気な事を考えていた自分がいたけど、自分の世界観なんて大した物ははじめから無いんだよ だから 私の表現したいものって何だっけ?ってなったんだよね 私が陶酔していた世界は、やっぱりここで言う「人間主体を超えた存在からのインスピレーションに他ならず」なんだよね だから 作品を作りたいのであれば、進んでそのインスピレーションを受け入れる体制でないと何も生み出すことはできないんだよね。 また、時間をかける必要があるのは、自分の力を超えた力を動員するように努力する事につながり、それはMustなのだということ。 この二つの要素が学校から渡された教科書に書いてあって本当によかった。 なんだかずっと抱えていた難題が解けた気分でかなり気分がいいぞ えいえいおー! #
by Psychedelphia
| 2007-01-03 20:24
| Life
ありがとう
そういってもらってうれしいから 返信を投稿しちゃいます 私も君と全く同様 最近だよぉ ようやくたどり着いた入り口 しかも全く一緒だよこれ 自分の才能を最大限に生かして自分の力でお金を稼いで行こうと言うことだね。 それでもまだどういう形が最大限なのか模索中 いやぁ~ 道のりながいっす えいえいおー! #
by Psychedelphia
| 2006-12-15 00:51
| Life
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